中山道跡地説明にも記されているが、この直線の道の両側には、かつて松並木があったが、土地改良等により消滅してしまった。

 瑞穂市内の中山道は、幕府へ降嫁された皇女和宮の遺徳をたたえて建設された呂久の 「小簾紅園」 から揖斐川の 「呂久の渡し」、田之上(新月)にある鎌倉時代後期の自然居士作の千躰仏をまつった千躰寺、天保4年(1833)創建の美江寺千手観音堂前、美江寺宿の本陣跡地、明治35年(1902)再建の美江寺観音、明治14年(1881)改名の美江神社を経由したのち、五六川を渡り、高札場跡地、寛文10年(1670)設立の本田代官所跡地、文化6年(1809)建立の本田地蔵堂(延命地蔵)がある本田地内を通過し、河渡宿(岐阜市)に通じていました。
 終戦直前までは、現在の呂久から田之上(新月)に至る両側には江戸時代初期に植えられた松並木が素晴らしい景観を保ち、当時の旅人の心に安らぎを与えていましたが、その後の土地改良等により、残念ながら当時の松並木は消滅してしまいました。
 また、中山道は東海道に比べ水の難が少なく、江戸へ嫁いだ姫君も頻繁に往来したため、別名 「姫街道」 と呼ばれていました。

石畳の延長線上に伸びる旧道

石畳の両側に建つ美濃16宿の石柱

中山道跡地説明