広重の浮世絵の右(東)部の堤防は削られ、道路が全体に約1m嵩上げされた結果、急な坂はなくなり、道は平坦になりました。また、野池は埋め立てられています。 
 背後(北側)の竹藪は、広重が描いた当時のままの姿を留めています。

現在のこの地説明

歌川広重の 「みゑじ」

広重の眼看板

 今から約180年前、歌川広重は美江寺宿の西端に位置するこの場所から、「みゑじ」を描きました。
 旅人が、農民に道を尋ねています。背後には、野池と小川、そして、竹藪が描かれています。
 寂しい情景を描くためか、故玩館の前身の建物(江戸時代、左絵図に記載)はカットされています。
 この附近は、当時、右(東)の犀川堤防(五六輪中)を乗り越えるため、急な坂道になっていました。