中山道美江寺宿跡説明
美江寺は既に、天正17年(1589)豊臣秀吉の下知によって、問屋場が設けられ、往還の荷物中継ぎの業務に当たっていたが、江戸時代になって中山道が整備されるに及んで、近世宿場制による駅伝業務を担当する宿場となった。寛永14年(1637)4月伝馬役家と歩行役家各々25軒を定めて問屋の支配下に置き、交通業務に当たったのが、美江寺宿の公式開設である。
宿場の機関の一つである本陣は、宿場開設より32年後の寛文9年(1669)春、時の領主加納藩の戸田丹波守光永によって建設され、問屋山本金兵衛が管理を兼ねた。以後、山本家が世襲して宿場制廃止まで継承した。
一般旅人ための旅籠や茶屋は年代により増減があったが、これは幕政改革の影響であろう。文久元年(1861)10月26日の和宮親子内親王江戸下向の途次、当宿御小憩と、慶応4年(1868)2月20日・21日両日、当宿を発信地とした東征軍東山道鎮撫隊のことは、当宿交通史の特記事項である。
明治3年(1870)閏10月、民部省布告による宿駅制廃止に伴い、宿場の歴史を閉じた。
拝殿に掛かる美江神社の扁額
瑞穂市指定有形文化財の陶磁の狛犬
阿形の狛犬
吽形の狛犬
拝殿内の神輿
美江神社拝殿
手水石
復元された高札場
境内社の秋葉神社
社務所 兼 美江寺公民館