本田代官所跡説明
本田代官所跡の斜向かいの旧家
江戸時代の一時期、この辺りに幕府直轄地の代官所があったが、詳細は定かでない。
しかし、古文書等から推測すると、寛文10年(1670)、野田三郎左衛門が初代代官に任ぜられ、この地に陣屋を設けたと思われる。
本田代官は後に川崎平衛門完孝(11年間在任)という名代官を迎えるなど、この地の人々に大きくかかわった。
明和7年(1770)大垣藩に預けられるまで続いた。今も 「代官跡」 「御屋敷跡」 「牢屋敷跡」 という地所が残っている。
(瑞穂市教育委員会)