江戸時代、江戸と京都を結ぶ重要な街道として中山道が整備され、69の宿場が設けられた。河渡宿は江戸から106里27町、55番目の宿場であった。
加納宿へ1里半、美江寺宿へは1里6町を隔て、長良川の渡しを東に臨み、大名行列や旅人が往来・宿泊して大いに繁栄した。
ここはかつて一里塚のあった場所である。塚は道の両側に各々あり榎が植えらて、塚の大きさは3間4方であった。
(中山道河渡宿文化保存会)
河渡宿説明碑
河渡の一里塚跡碑
松下神社
中山道河渡宿は、東に長良川、西南に糸貫川、北に根尾川があり、土地も低く、白雨雪舞の折には泥沼となった。特に文化12年(1815)6月には、未曽有の洪水に見舞われ、このままでは宿も絶えるのではと、時の代官松下内匠が、宿中を5尺あまり土盛をして、その上に家屋を改築し、文化15年に工事を完成させた。
この功績に村人は、松下神社を建立し、碑を刻んで感謝をした。
碑は太平洋戦争の戦災で焼こわれ、今は一部しか残っていない。
(中山道河渡宿文化保存会)
松下神社由来碑
上部が欠けた顕彰碑