正徳より天保年間にかけて徳川幕府太平の記録に中山道69次之内第54河渡宿大概帳に、本陣水谷治兵衛、問屋久右衛門・八兵衛、庄屋水谷徳兵衛とあり、本陣1軒、旅籠屋大4軒、中9軒、小11軒あり。酒屋・茶屋・豆腐屋・煙草屋など建ち並び、西国諸大名の江戸幕府への参勤交代時には、御転馬役・歩行役の命令あり。
 東へ加納約1里半、西へ美江寺1里7丁、この荷駄の送迎、旅人の往来・宿泊に賑わい、この荷駄役の人達が天保13年(1842)に銭100文づつ寄進し、道中と家内安全、五穀豊穣祈願し愛染明王を奉祀す。
 地元では馬頭観音さんと仰ぎ、猿尾通称お幕場に6間4面の堂宇を建立。毎年9月17日を祭日と定め、祖先は盛大に讃仰護持し来れり。その後、明治24年(1891)10月28日午前6時37分濃飛大震災に倒壊、同29年9月大洪水に本堂流失す。堤外中段渡船場右側に再建。昭和20年(1952)7月9日大空襲に戦禍を免る。同22年4月新堤築造により堤内に奉遷安置。同56年本川拡幅に伴う遷座となる。
 島川東洋子氏御一家の篤志を受け、現聖地37.3坪に奉遷新築す。町民の総意と協力により工事費金1,165万7千円にて完成。

南無地蔵菩薩

中山道河渡宿石灯籠

中山道開宿400年記念碑

三面八臂の馬頭観世音菩薩

観音堂

愛泉と刻まれた手水石

地蔵堂

観音堂縁起碑