ここは江戸時代、加納藩の高札場があったところです。高札とは藩が領民に法度(法律)や触(お知らせ)を知らせるために人通りの多い通りの辻や市場などに立てた板で作った立札のことです。
加納宿では、加納城大手門前の清水川沿いのこの場所が高札場で宿御高札場と呼ばれていました。
この高札場は加納藩の中でも最も大きく、石積みの上に高さ約3.5m、幅6.5m、横2.2mもあるものでした。
正徳元年(1711)に 「親子兄弟の札」 が掲げられて以後、明治時代になるまで、何枚もの高札が掲げられました。
(岐阜市教育委員会)
広井橋から見た清水川下流
広井橋から見た清水川上流
加納宿高札場跡説明