この、ぶたれ坊と茶所は、江戸時代の相撲力士 「鏡岩浜之介」 にちなむものです。伝えによると、2代目鏡岩は父の職業を継いで力士になりましたが、土俵の外での行いが悪かったことを改心して寺院を建て、ぶたれる為に等身大の自分の木像を置いて罪滅ぼしをしました。また、茶店を設けて旅人に茶をふるまったそうです。
ここの少し北側にある東西の通りは、昔の中山道であり、加納宿として栄えていました。江戸時代には多くの人たちが訪れたことでしょう。現在では、歴史的な町並みと地名等に当時の様子を伝えていますが、ここにあった妙寿寺は廃寺となり、「ぶたれ坊」
の像は岐阜駅南口に近い加納伏見町の妙泉寺に移されています。
(岐阜市教育委員会)
香炉に 「茶所」 と刻まれ、左の石柱に 「妙壽寺」、右の石柱に 「鏡岩山」 と刻まれている。台座には 「鏡岩濱之助門第中」 と刻まれている。<鏡岩濱之助は父親である>
鏡ときざまれた石碑
ぶたれ坊と茶所(ちゃじょ)説明
天保12年(1841)鏡岩濱之助門が建立した道標
東海道いせ路 江戸木曽路