遇光山善休寺由緒碑
男女双体道祖神
句碑
親鸞聖人御舊跡碑
葵の紋が入った手水石
善休寺山門
善休寺は、天台宗の流れを汲む寺院であり光曉坊と称していた。
貞永元年(1232)頃親鸞聖人関東より御上洛の途次、葉栗郡門間の庄・木瀬(現在の岐南町三宅木瀬)の草庵に滞在の折、当時天台宗光曉坊念願法師が当山への来駕を仰ぎ御化導を賜り、以後浄土真宗となる。なお、慶長時代(1596-1615)に光曉坊より善休寺と改名し今日に至る。
当山は、織田信長にゆかりの深い本光院(京都市上京区七本松)の帰依深く筋堀(塀に三本筋入り)を許され菊花紋入りの品を寄付され祈願所と定められる。
また、尾張徳川家が各務野にて狩りの折り、当山を宿所として以来信仰篤く、特別に 「葵の紋」 を賜る。
本堂
鐘楼
十三重塔
蓮如上人
親鸞聖人
親鸞聖人御舊跡碑