見附とは、宿場の入口と出口に備えた簡易な防御施設のことです。台状に土手を築いたり、周りを石垣で囲んだり、盛土をして木の柵を立てたりしました。鵜沼宿には、東の見附と西の見附がありました。
鵜沼宿の見附は、江戸時代の 「鵜沼宿家並絵図」(中島家文書) に描かれています。家並図と現在の地図を照らし合わせると、西の見附は概ねこの看板の辺りと考えられます。具体的な構造は分かっていません。
江戸時代の参勤交代では、西から鵜沼宿へ入るときは、途中、人家の少ない道を通ってきますので列が乱れており、このすぐ西にある空安寺あたりで隊列を立て直し、「したに~、したに~」
と大声を上げて、格好を付けながら宿内に入っていったと思われます。鵜沼宿の人々は、おそらく下座をして迎えたのでしょう。
通称 「翠池(よしいけ)」 の農業用ため池
左から馬頭観音、三界萬霊塔、南無観世音菩薩
西の見附跡説明