鵜沼宿の脇本陣は、坂井家が代々これを勤め、安政年間に至って坂井家に代わり野口家が勤めました。坂井家の由緒は古く、貞享2~5年(1685-88)に松尾芭蕉が当家に休泊し句を詠んだと伝えられています。
史料によれば、江戸時代中後期の 「鵜沼宿万代記」 に脇本陣坂井半之右衛門と記され、「中山道分間延絵図」 には街道に南面する切妻屋根の主屋と表門が描かれています。また
「宿村大概帳」 天保14年(1843)には、脇本陣坂井家、門構玄関付き建坪75坪と記され、その間取りが 「鵜沼宿家並絵図」 元治元年(1864)に詳細に描かれています。
なお、当施設は 「鵜沼宿家並絵図」 に描かれた幕末期の脇本陣坂井家を復原しています。
脇本陣内の坪庭
中山道69次の瓢箪
復原された脇本陣門
鵜沼宿脇本陣説明