貞享2年(1685)、「野ざらし紀行」 道中の松尾芭蕉は、鵜沼を訪れ脇本陣坂井家に滞在したと伝えられています。
 その後、貞享5年(1688)7月頃、芭蕉は再び脇本陣坂井家を訪れ、
  汲溜の 水泡たつや 蝉の声
の句を詠み、さらに同年8月頃、再度訪れた脇本陣坂井家で菊花酒のもてなしを受けた折りには、主人の求めに応じて、楠の化石に即興の句を彫ったと伝えられています。
  ふく志るも 喰へは喰せよ きく乃酒
 その後、木曽路を通って信濃へ更科紀行に旅立つ芭蕉は、美濃を離れる際に、
  おくられつ 送りつ果ハ 木曽の秋
と詠み、美濃の俳人達との別れを惜しんだといわれます。

中山道鵜沼宿と芭蕉説明

おくられつ 送りつ果は 木曽の秋

ふく志るも 喰えは喰せよ  きく乃酒

はらなかや ものにもつかず 啼くひばり

汲溜の 水泡たつや 蝉の声

芭蕉句碑

芭蕉句碑

芭蕉句碑

芭蕉句碑