当門は、大垣城本丸の表口に建てられていた鉄門(くろがねもん)で、明治9年(1876)に払い下げられた後、安積家(各務原市蘇原野口町)の自邸の門として維持されてきたことから、「安積門」 と呼ばれています。各務原市へ寄付され、平成21年(2009)に当地へ移築されました。
 規模は、間口約5.7m、高さ約4.5mあり、構造形式から高麗門と称されます。高麗門とは、左右2本の本柱上部に小振りな切妻造の屋根を架け、さらにその後方に控柱を立て、本柱から控柱に渡して小屋根を架けた門のことで、主に城門として用いられました。
 当門のもう一つの特徴は、正面の木部を全て鉄板で覆い、軒下を白漆喰で塗籠めている点で、これらは火矢による攻撃から門を守るためと考えられます。
 当門と同様に、高麗門に鉄板を張った遺構は、名古屋城表二之門、大阪城大手門(二之門)の2例が現存しています。

旧大垣城鉄門の看板と説明板

後方斜め

後方正面