鵜沼宿の本陣は、江戸時代を通じ桜井家が務めていました。江戸時代初期、この地に鵜沼宿が整備されて以来桜井家は本陣・問屋・庄屋の三役を兼ねていたと伝えられています。 
 寛延2年(1749)10代将軍家治に輿入れした五十宮がここに宿泊したのをはじめ、多くの姫君が華やかな入輿の行列を伴って宿泊・休憩したりしました。
 文化6年(1809)伊能忠敬ら測量方も宿泊しています。
 「中山道宿村大概帳」 天保14年(1843)に、「本陣凡そ建坪百七拾四坪余り、門構え・玄関付き」 と記されています。御上段・二之間・三之間・広間・御膳間・御料理間・勝手上段・納戸・台所などが配置され、御上段の北には築山や泉水が設けられていたと言われています。
 明治維新後、鵜沼第一小学校前身の新々義校は、ここに創設されました。

鵜沼宿本陣跡説明

鵜沼宿本陣跡から見た旧武藤家住宅