鵜沼宿には、江戸時代を通じ東町と西町にそれぞれ一ヶ所問屋場がありました。東町では野口家が代々この地で問屋場を務めました。
 「中山道宿村大概帳」 天保14年(1843)に 「問屋場二ヶ所にて、一日代り継立て、問屋一人・年寄り一人・帳付け一人、人馬指し二人相務め、重き通行の節は一同罷り出で取り扱い来る。」 と記されており、西町の桜井家と一日交代で務めていたことを窺わせます。
 野口家は、江戸時代後期の安政年間(1854-59)に西町の坂井家に代わって脇本陣も務めることになりました。

鵜沼宿問屋場跡説明

尾州領傍示石

「是より西尾州領」 と刻まれている