東の見附跡
 江戸時代、宿場の入口には宿内の防御と街道との境界を示すため、見附(みつけ)がありました。鵜沼宿の東の見附はこの案内の少し西にありましたが、現在その遺構を見ることはできません。
 東からうとう峠を下ってきた中山道は、この見附で鋭角に曲がって鵜沼宿に入り、西へ7町半8間(約839m)の町並みを経て西の見附に至ります。

赤坂の地蔵堂
 地蔵尊には 「宝暦13年(1763)・女人十二講中」 と刻まれているほか、左右には 「左ハ江戸幷せんこうしみち(善光寺道)」、「右ハさいしょみち(在所道)」 とあり、道しるべを兼ねたようです。江戸時代から地元の皆さんにより大切にお守りされています。

地蔵堂は西向きに建っている

東の見附跡と赤坂の地蔵堂説明

赤坂の地蔵尊

お花が飾られ千羽鶴が架けられ大事にされている

「右ハさいしょ(在所)みち」・「左ハ江戸幷せんこうし(善光寺)みち」 と刻まれている