坪内逍遥(1859-1935)は安政6年(1859)、尾張藩太田代官所の役人であった平之進の10人兄弟の末子として生まれました。
その後、明治2年(1869)父の引退に伴い、太田を離れた逍遥は、名古屋に移り住み風雅な中京文化の感化を受けました。
18歳にして上京し、明治16年(1883)東京大学を卒業すると、文学論 「小説神髄」 や、小説 「当世書生気質」 などを発刊し、明治新時代の先駆となりました。
また、演劇・歌舞伎・児童劇・近代文学の指導と研究にあたり近代日本文学の基を築きました。
逍遥の明治42年(1909)から20年間にわたる 「シェークスピア全集」 の完訳と刊行は代表的な偉業です。
大正8年(1919)には、夫婦そろって生まれ故郷を訪れ、このムクノキの根元で記念撮影をしました。逍遥61歳でした。
(美濃加茂市教育委員会)
坪内逍遥ゆかりのムクノキ説明
水神
ムクノキ根元の弘法大師
天明元年(1781)の観音像、寛政5年(1793)の三面六臂の馬頭観音など
稲荷大明神
ムクノキ洞の山神
ムクノキと弘法祠