中山道を江戸から京へ向かうとき、太田宿の西の出口に虚空蔵堂はあります。 
 天明2年(1782)の 「加茂郡太田村絵図」 には既に描かれており、当時から信仰の対象となっていました。ここには、京への道標があり、旅人たちの道案内となっていました。ここから段丘を下り、木曽川沿いに京を目指して西へ進にました。
 また、承久3年(1221)に起こった 「承久の乱」 の木曽川合戦では、後鳥羽上皇率いる朝廷軍と鎌倉幕府軍が、木曽川を挟んで戦いました。この辺りが戦場の北端であったといわれています。(可児側が幕府軍・太田側が朝廷軍)

虚空蔵堂と承久の乱古戦場跡説明

常夜燈 組中安全

御堂に掛かる虚空蔵の扁額

木曽川土手前に建つ虚空蔵堂

虚空蔵堂内陣

「是より左京道」 の道標

大正2年(1913)の高野山御分身弘法大師碑

天保7年(1836)の馬頭観音

安永2年(1773)の常夜燈

安永2年(1773)の常夜燈