道が直角に続けて二度曲がるのを枡形といいます。
 宿場の入口に設けられ、本陣や脇本陣のある宿を守るため、城下町にならって作られました。
 太田宿では、祐泉寺の裏と下町に見られます。

 弘化2年(1845)の 「加茂郡太田村家並絵図」の中には弥勒寺が描かれています。天保年間(1830-43)には、祐泉寺9世海音和尚が隠居していたようです。嘉永3年(1850)に脇本陣林市左衛門が娘の宝林尼首座のために尼寺として再興しましたが、明治時代に廃寺となりました。新田次郎の 「槍ヶ岳開山」 では、播隆上人が太田宿に立ち寄った際に滞在していた場所として登場します。
 播隆上人はこの南側の敷地で葬られましたが、廃寺に伴い、現在は祐泉寺に墓碑が移っています。

弥勒寺跡と下町の枡形説明

枡形説明