糸游庵は、近代漫画の祖として知られる岡本一平とその家族が、美濃加茂市に昭和21年(1946)に転居してから亡くなるまで過ごした居宅です。
 岡本一平の漫画家としての活躍は、明治時代後期から始まります。新聞紙上で漫画に短い文書を添えた 「漫画漫文」 が連載されると、たちまち大好評となり、彼は 「総理大臣の名前は知らなくてもその名を知らないものはいない」 とまで言われるようになりました。
 昭和20年(1945)、戦火を逃れて現在の賀茂郡白川町三川に疎開。この地で、人間の感情や生活をこだわりなく五・七・五の詩形で表現する 「漫俳」 を提唱し、昭和21年(1946)には現在の美濃加茂市古井町下古井に転居。終戦直後の暗い世の中に活気をと、漫俳や地方講演などの活動をはじめた矢先、彼は脳溢血のため帰らぬ人となりました。しかし今もなお、漫俳や彼の絵画作品などは、この地域の人々に大切にされ、伝えられています。

榎に付いているヤドリギ

美濃加茂市指定保存樹木の榎

木曽川と 枕を並べ 昼寝かな

秋晴れや 映画の景色 ゆく心地

太田宿中山道会館入口の辻行灯のモニュメント

岡本一平とその家族の居宅・糸遊庵

弘化2年(1845)の太田村家並絵図

井戸

岡本一平句碑

糸游庵説明