高札は、法度・禁令、犯罪人の罪状などを記し、交通の多い辻などに掲げた板の札です。一般の人々に知らせる目的で立てられました。弘化2年(1845)の 「加茂郡太田村家並絵図」 には、下町の西福寺入口付近に高札場が描かれています。「濃州徇行記」 には 「毒薬、親子、火付、切支丹、荷物貫目、駄賃高札」 が書かれた高札と船高札があったとされます。また、ここは郡上へ向かう 「郡上街道」 との追分でもあります。
 左手にある石の道標は明治26年(1893)に名古屋の塩問屋、伊藤萬蔵が建立したもので、郡上街道追分の道案内をしています。

 江戸時代、幕府・大名が法令や禁令を公示するため、墨書した高札を掲示した所を高札場といい、宿場等人の目につきやすい所に設置されました。
 太田宿から次の宿までの人馬の駄賃やキリシタン禁令等の高札が掲げられていました。

高札場跡と郡上街道追分説明

高札場跡説明