龍興山祐泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、寺伝によれば文明6年(1474)、土岐源氏・土岐頼政の次男、東陽英朝禅師(大道真源)が湧泉庵という庵を結んだことに始まると言われています。
永正年間(1504-21)には八百津の大仙寺の末寺となり、祐川庵といいました。寛文年間(1661-73)には、関の梅龍寺末寺の祐泉寺となり、明治になって妙心寺本山の直末となりました。
また、火難水難から守るとの言い伝えが残る瀧場観音があり、美濃西国27番目の札所になっています。
境内には坪内逍遥や北原白秋といった文人が詠んだ歌碑、槍ヶ岳を開山した播隆上人、「日本ライン」 の命名者、志賀重昂の墓碑などが残されています。
祐泉寺全景
祐泉寺再建前の鬼瓦
庫裡
春なれや 名もなき山の 朝かすみ
山椿 さけるを見れば いにしへを 幼きときを 神の代をおもふ
この木の実 ふりにし事し しのばれて 山椿ばないとなつかしも
祐泉寺由緒
祐泉寺寺標
水琴窟
北原白秋の歌碑
坪内逍遥の歌碑
祐泉寺本堂
鐘楼
祐泉寺本堂
十三重塔
地蔵菩薩
芭蕉句碑
細葉堅 秋雨ふれり うち見やる 石燈籠のあお苔のいろ