中山道の三大難所の一つにうたわれた 「太田の渡し」 南側渡し場(今渡の渡し場)は、川瀬の変化と共に上流へと変更され、最終的には現太田橋下流域付近となりました。
 明治34年(1901)に鉄索(ワイヤー)を用いた岡田式渡船となり、昭和2年(1927)2月には太田橋の完成とともにその役目を終えました。
 太田橋のすぐ下流の今渡神明弘法堂下には、渡し場に通じた石畳が今も残されています。

渡し場付近の地図

西へ京    今渡の渡し場跡    東へ江戸

道標

渡し場跡の石畳

今渡の渡し場跡碑

渡し船を象ったベンチ