慶長5年(1600)9月、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は直ちに宿駅伝馬制へと着手し、慶長7年(1602)には中山道筋でもいち早くここ御嶽宿に 「伝馬掟朱印状」 を下したことから、重要な拠点とみなしていたことが伺えます。
 御嶽宿は江戸から49番目の宿場にあたり、天保年間の 「中山道宿村大概帳」 には、宿内町並4町56間(約540m)、家数66軒(内旅籠屋28軒)、このほか本陣・脇本陣が各1軒、問屋場、高札場などの存在が記載されています。
 宿場は西端の天台宗の古刹大寺山願興寺から鉤の手を抜けて東へと続き、大名や公家あるいは一般庶民の通行とともに、情報や文化の交流する場所として大いに賑わいました。
 (御嵩町・御嵩町観光協会)

中山道御嶽宿説明

中山道みたけ館碑

中山道御嶽宿碑