全国的に見ても珍しい耳の病気に御利益があるといわれる神社です。平癒の願をかけ、お供えしてある錐(きり)を一本借りて耳にあてます。病気が全快したらその人の年の数だけ錐をお供えしました。奉納する錐は本物でも、竹でまねて作ったものでもよく、紐で編んですだれのようにしてお供えしました。小さな祠には奉納された錐がいくつも下げられ、人々に厚く信仰されていたことが伺えます。また、戦前には遠く名古屋方面からの参拝もありました。
 元治元年(1864)武田耕雲斎が尊王攘夷を掲げて率いた水戸天狗党が中山道を通った時、耳神社の幟を敵の布陣と思い、刀を抜いて通ったと伝えられています。
 (御嵩町・御嵩町観光協会)

耳神社由緒

中山道耳神社碑

石祠は狭いスペースに建っている

耳神社石祠

急な石段の上の耳神社

右に奉納された錐(きり)が架かっている