ヨゼフミカエル館の庭に建つマリア像
ヨゼフ ミカエル館
マリア像
「七御前址、謡坂村にある、あるいは古き五輪塔、あるいは古樹あり、しかれども其所の由、知れず」 と宝暦6年(1756)に尾張藩士松平君山が編纂した
「濃陽志略」 に記されたように、仏教の墓石である五輪塔が多数あり古い樹木が生い茂った場所で、この地の由来は分かっていませんでした。
ところが、昭和56年(1981)3月、道路工事による五輪塔の移転が行われた際に、その下の地中から数点の十字架を彫った自然石が発見され、ここが仏教の墓地を利用したキリシタン遺跡であったことが分かったのです。
不幸なことに日本では一時期キリシタンを信仰することが固く禁止され、密かに信仰していることが発覚すると命を奪われることもありました。
この遺跡からは命をも顧みることなく信仰に打ち込んだ郷土に生きた先人の生き様が伝わってきます。
(御嵩町・御嵩町観光協会)
昭和56年3月、謡坂地内で道路工事中にたまたまキリシタン信仰の遺物が発掘されました。
その後の調査で、小原・西洞・謡坂地内で、数多くの貴重な遺物が相次いで発見され、この地に多くのキリシタン信仰が居たことが判明し、歴史上大きな資料ともなりました。幕府の過酷な弾圧の中で発覚もせず、ある期間信仰が続けられたのは、奇跡であると思います。
こうした例は全国でも非常に珍しく、広く話題を呼び、遠くから多くの人が来訪され、また東海自然歩道(中山道)に沿う地でもあり、関心を寄せる人も数多くなりました。
この度、御嵩町観光協会の発案とその趣旨に賛同された多くの方からの浄財により、当時の辛苦に耐えた先祖の慰霊の意味と現世及び今後の人々の幸福と平和を願って、ここに聖マリア像を建立いたしました。
(御嵩町観光協会)
七御前とキリシタン信仰説明
平和の像建立趣旨碑
撫子や 人には見えぬ 笠のうら
五輪塔の下に十字に刻んだ石を埋めてお祈りをしていたという隠れキリシタンの遺蹟
マリア像
マリア像の後ろの五輪塔群
史跡七御前の裏手に建っている
子規句碑
史跡七御前碑