東に恵那山(2,191m)、中央に笠置山(1,128m)、北に御嶽山(3,067m)が望めるというが、木々が生い茂り眺望は良くない。

 文久元年(1861)、皇女和宮の行列が中山道を下向し、14代将軍徳川家茂公のところへ輿入れしました。その際、一行が休息する御殿が造られたことから、ここを御殿場と呼ぶようになったといいます。
 和宮の行列は姫宮としては中山道最大の通行といわれ、4000~5000人にも及ぶ大行列でした。近隣では12月28日の早朝に前日宿泊した太田宿(現美濃加茂市)を出発し、昼には御嶽宿にて休息、そしてここ御殿場でも再び休息をとったのち、大湫宿(現瑞浪市)で宿泊しました。
 中山道が別名 「姫街道」 と呼ばれるのは、こうした姫宮の行列が多く通行したためです。
 (御嶽町)

山岳案内図

御殿場の東屋

御殿場説明