細久手宿説明
細久手宿は江戸から48番目で、慶長15年(1610)海抜420mのこの地に設けられた新宿です。
宿の長さは東西に3町45間(約408m)、天保14年(1843)の戸数65戸、うち旅籠屋24軒で、尾州藩領でした。
宿の誇りは、上町の庚申堂や下町の日吉・愛宕神社、それに東の峠などが遠望される木曽御岳・駒ヶ岳・加賀白山など四季の眺めの美しさでした。
細久手宿説明
細久手宿案内図
中山道案内図
道標を兼ねた説明ブロック
皇女和宮の写真用パネル
細久手ちょうちん祭レリーフ
標高約420mにあって、江戸から48番目(距離約92里)、京から22番目(距離約42里)に位置する宿場です。中山道の開設当初、東の大湫宿から西の御嵩宿までの道程が4里半(約17.7㎞)もあったことから、尾張藩によって設置されました。慶長11年(1606)の開宿当初は、七軒屋と呼ばれる小さな仮宿で、その後放火により全焼し、慶長15年(1610)に正規の宿場として再整備されています。宿場の規模については、天保14年(1843)の記録に
「町並み3町45間(約410m)、家数65軒、旅籠屋24軒、総人数256人」 の記載があります。
細久手宿は、仮宿の全焼のほか、寛政14年(1802)、文化10年(1813)、安政5年(1858)の3度にわたって大火に見舞われ、大きな被害を受けました。現在の町並みは安政の大火以降に形成されたものです。
(瑞浪市)
大湫宿 ← 細久手 → 御嵩
東海自然歩道碑