その名のごとく旅人の休憩所であった。細久手宿の東入口で眺望のきく絶景地である。
 広重の版画 「細久手宿」 もここからスケッチされている。
 北方近くに妙見山、東に霊峰御嶽山、南にアルプス連峰、西に名古屋港の海が輝く。
 (細久手長寿クラブ)

細久手宿概要と高札場説明

細久手宿概要
 慶長11年(1606)大久保石見守の命を受け、国枝与左衛門が仮宿を設けるが、放火により全焼する。慶長15年(1610)公儀により米百俵を受けて再興する。
 江戸日本橋より93里(約372㎞)、48番目の宿、京都三条大橋より42里(約168㎞)、22番目の宿。過去3回の火災で全焼している。
 寛政10年(1791)59戸、文化10年(1813)82戸、安政5年(1858)62戸。春の金比羅詣で、春秋彼岸の善光寺詣で、夏の御嶽詣で等々繁盛した。
 (細久手長寿クラブ)

高札場跡
 徳川時代、禁止令、掟書等を掲示した。重罪人のさらし首や罪状も掲げた。
 (細久手長寿クラブ)

茶屋ヶ根説明

右手段上に見える庚申堂