当宿のこの脇本陣保々家は、脇本陣と共に宿の庄屋・問屋役を代々兼帯してきた家柄で、文化元年(1804)の絵図面によりますと、屋数は東西31間、南北17間の約520坪(1700㎡)、母屋の建坪は間口16間、奥行一部2間の約98坪(330㎡)、その部屋数19室、畳数153畳、別棟添屋6棟、門構え、玄関(式台)付き、とあります。
 現在は御殿と呼ばれていた上段・下段の間や玄関式台などのほか、別棟添屋などともなくなり、左の図面の朱記のほかに表門、母屋の約半分ほどしか残っていませんが、それでも中山道69宿の中では当時の宿場の面影を偲ぶことのできる数少ない遺構の一つに挙げられており貴重です。

桝屋の屋号の家

脇本陣保々家説明

門田家の屋号の家