大湫宿と大井宿の間の3里半(約13.5㎞)は、険しい山坂の連続する 「十三峠」 と呼ばれる尾根道で、中山道を行き交う人馬が難渋した場所でした。
ここには、道中安全を祈って天保11年(1840)に建立された観音石窟があり、三十三体の馬頭観音は、大湫宿内の馬持ち連中と助郷に関わる近隣の村々からの寄進です。
なお、石窟前の石柱には、大手運送業の定飛脚嶋屋・京屋・甲州屋を始め、奥州・越後の飛脚才領、松本や伊那の中馬連中が出資者に名を連ね、中山道の往時を偲ばせる貴重な史跡です。
(瑞浪市)
険しい山坂の連続する十三峠は、旅人ばかりでなく、宿や助郷の人馬役のものにとっても大変な道でした。
この観音仏は人馬の道中安全を祈って建てられたものですが、寄進者の中に定飛脚才領や中馬連中の名もあり、中山道にある古遺物の中でも学問上貴重なものの一つです。
十三峠の三十三所観音説明
三十三所観音像
中山道十三峠阿波屋の茶屋跡碑
天保11年(1840)建立の三十三所碑
十三峠の三十三所観音石窟説明
台座には寄進者の名が刻まれている
おつる婆さんが茶屋を営んでいた
大手運送業者の定飛脚嶋屋、京屋、甲州屋を始め、奥州・越後の飛脚才領、松本・伊那の中馬連中の名が刻まれている
三十三所観音石窟