荒川は埼玉県の中央を流れる母なる川として広く地域の人々に親しまれていますが、反面古来から荒れる川として洪水により沿川の住民を苦しめてきました。
近年には、昭和22年9月のカスリーン台風による洪水のため熊谷市久下地先のこの地点で濁流が堤防を越え決壊しました。
流れ出た洪水は埼玉県北部の村を次々と襲い、折しも利根川の決壊した濁流と合流し、はるか東京まで達し尊い多くの人命を奪うとともに付近一帯に甚大な被害を与えました。
あの恐ろしい洪水から約半世紀経った現在、決壊跡付近の整備は概成しましたが、昭和57年の洪水の時のように、水位が堤防天端近くまで達したことを考えると、いつまた大災害が起きないとも限りません。
沿川の都市化の進展により、氾濫区域内の人口や資産はさらに増加しています。このため、堤防や護岸等を整備し、周辺の環境にも配慮した河川改修を推進して、地域の発展を支えています。
(国土交通省荒川上流河川事務所)
決壊の跡碑
荒川の水害説明