中山道道標脇の中山道大井村の図

上宿8人の女講連中で建てた馬頭観音

石段降り口にある中山道道標

←大井宿約300m ・ 長石塔、関戸一里塚約100m→

① 中山道
 木曽はすべて谷間の道であるが、この辺りは尾根の道となり展望がよく空も広い。中山道の修理保全は村々に分担して責任を持たせていた。
② 茄子川焼窯跡
 この窯は天正6年(1578)頃に始まったという。天保年間(1830-43)に妻木の加藤喜兵衛等を迎え、また奥州の相馬焼の技術を取り入れて茄子川焼の名を高めた。
③ 大井宿と茄子川村の境
 ここの小川が村境となり、道の両側に太く高い木杭が建ち 「是より大井宿」 と書いてあった。
④ 富士浅間神社
 塩御前社ともいい、貞享2年(1682)に駿河国より勧請して氏神に迎え、安産と育児に霊験があるといわれた。
➄ 筋違橋
 この橋は長さ6間、幅2間で、欄干付きの板橋であった。川に斜に架けてあったので筋違橋の名がついた。
⑥ 岡瀬沢
 江戸時代の初期には、岡瀬沢新田とか大井村枝郷といっていたが、次第に中山道沿いに家が集まり、茶屋や馬宿もできた。
⑦ 庚申塔
 この地では今も庚申講があり、庚申の日ごとに講元に集まって無病息災を祈っている。
⑧ 馬塚・犬塚・根津神社
 根津甚平は源頼朝の家臣で長国寺中興の祖といわれている。宝篋印塔・馬塚・犬塚など甚平に関する遺跡が多くある。
⑨ 甚平茶屋
 この茶屋のほかに甚平坂の麓と広久手にもあり、旅人の憩いの場となっていた。
⑩ 経王書写塔
 この塔の下には御経の文字を一字一字書いた千余個の小石が納めてある。
⑪ 関戸一里塚
 江戸日本橋より87里目の一里塚で、塚に上には松と榎が立っていたが、大正の頃に取り払われ消失した。
⑫ 長石塔
 長国寺4世丹山和尚が大乗妙典を読み終わり、村内安全を祈念して延宝8年(1680)春の彼岸に建てた。(高さ3.62m)
⑬ 上宿石仏群
 宿内へ悪人や悪病の侵入するのを塞(さぎ)り、無病息災を祈って建てた。古い塔があり徳本碑や痰切地蔵等の珍しい碑が多い。
⑭ 旅人いろの供養塔
 いろ(67歳)埼玉県高岩村の人で、伊勢参拝の帰路に大井宿で亡くなった。後日母の供養のために息子がこの碑を建てた。
⑮ 長国寺
 曹洞宗の古刹。寺伝では行基が草創。鎌倉時代に根津甚平が再興したといい、平安時代の歌人西行の葬送の寺という。
⑯ 高札場
 徳川幕府の庶民に対するきまりを掲示した場所で、中山道の人馬駄銭札も架けてあった。
 (恵那市教育委員会)