権八は、姓を平井といい鳥取藩士であったが、同僚を殺害したため脱藩し江戸へ逃れた。その途中金に困り、久下の長土手で絹商人を殺害し大金を奪い取った。あたりを見回すと地蔵様を祀った祠があった。
良心が咎め己の罪の深さに、いくばくかの賽銭をあげて 「今、私が犯した悪行を見ていたようですが、どうか見逃してください。また、誰にも言わないでください。」
と手を合わせると、地蔵様が 「吾れは言わぬが汝言うな。」 と口をきいたと伝えられている。
この話から、この地蔵は、「物言い地蔵」 と呼ばれるようになった。権八はその後捕らえられ、延宝8年(1680)(延宝7年とも)に鈴ヶ森の刑場(東京都品川区南大井)で磔の刑に処された。
(鴻巣市教育委員会)
二十三夜勢至菩薩碑
権八地蔵とその物語説明