中山道甚平坂にある根津甚平祖霊社本殿裏にあり、源頼朝の御家人で信州の人といわれる根津甚平の墳墓または供養塔と伝えられる。「長国寺縁起」 によれば、「文治3年(1187)、長興寺妊観音に祈願して一子小太郎を授かったお礼に、寺の北にあり、火災で荒れていた大悲山長谷寺を再建し、寺地を寄進して稲荷山長国寺とした」 「建久年間(1190-97)、信州桔梗が原の八重羽のキジという怪鳥を鷹と犬を連れて退治に向かったが、鷹匠は甚平坂で、鷹と犬は日吉村(瑞浪市日吉町)で倒れた」 「建暦3年(1212)、甚平は再び大井を訪れ、死んだ後は岐蘇山道の脇に埋葬してくれと遺言した」 とあり、この宝篋印塔が根津甚平の墳墓であることを伝えている。
 宝篋印塔は、花崗岩製で、高さ2.24m、基礎の幅0.95m。県内でも最大級の規模で、鎌倉時代のものと推定されている。
 (恵那市教育委員会)

本殿の後ろに宝篋印塔がある

根津甚平の墓といわれる宝篋印塔

常夜燈

根津神社本殿

拝殿門の奥に本殿

関戸宝篋印塔説明