中山道を横断する古くからの用水路沿いで、中山道の南側約10mで地目原野29㎡が社宮司です。大きな桧が1本立っています。その根元には、氏神と金神の2つの石祠が祀られています。社宮司は、中部から関東に多く知られています。社宮司は信州の諏訪が根元で土地の神の信仰であり、木の神とされています。
しかし、恵那市内の社宮司については、近世はじめの土地調査(検地という)に使用した尺杖や水縄を土地の神に謝し納めたところと伝えられています。
中山道沿いの社宮司について、中山道分間延絵図(東京国立博物館)を見ますと、馬篭宿の新茶屋の立場から大鍬宿の烏帽子岩までの間では、岡瀬澤と中野村新田(現恵那市長島町中野新田)の2ヶ所のみです。
この岡瀬澤の田の多くは江戸時代初期に開かれました。また、中野村新田も同様ですので、検地に関係があると考えられます。なお、檜の根元の氏神石祠は古くからその位置にありましたが、金神の石祠は昭和7年(1932)に祀られたものです。
広久手坂標柱
社宮司(しゃぐじ)の話
金神(左)・氏神(右)
岡瀬坂
岡瀬坂標柱