篠原家は、加賀前田家の重臣篠原一孝の子、弥右衛門が17世紀の初めころ当地に移り住んだことに由来します。
 篠原家の当主は代々 「長八郎」 と名乗り、茄子川村の村方役人、尾張領の庄屋、戸長等を歴代にわたり務めていました。
 ここから中津川宿へは一里23町(約6.4㎞)、大井宿までは一里(約4㎞)の距離があり、家の脇には中山道から遠州秋葉道への分岐点を示す大燈籠が置かれています。
 篠原家は中山道通行時の休泊施設として本陣や脇本陣と同様な役割を担い、様々な文人、墨客の足跡も残されています。
 和宮、明治天皇が御小休した建物が現存し、休憩した部屋、厠、表門等は当時のままに保存されています。

篠原家

篠原家説明