中山道の街道筋にあたる吹上は、鴻巣と熊谷の 「あいの宿」 として発展した町ですが、江戸期、幕府公認の宿場ではありませんでした。
 しかし、それにもかかわらず重要視されたのは、日光東照宮を警護する武士たちの 「日光火の番道」 と、中山道が町の中央部で交差すること。また鴻巣宿と熊谷宿の距離が長かったため、その中間に休憩する場所として 「お休み本陣」 や、馬継ぎの 「立場」 を設置する必要があったからです。
 年に30家もの大名が江戸や国許へと行列を飾り、多くの文人や墨客たちも足をとどめた 「吹上宿」。中でも信濃の俳人小林一茶や加舎白雄、狂歌師で戯作者でもあった太田南畝、浮世絵師の池田英泉などはそれぞれ得意な作品をのこしています。そして江戸以来、吹上の名物は 「忍のさし足袋」 と荒川の 「うなぎ」、「榎戸の目薬」 も街道の名品に数えられていました。
 この場所は、かつての中山道が鉄道の開通によって分断された地点にあたっています。

吹上「間の宿」説明

道標

中山道間の宿