吹上は、北足立郡の最北端に位置し、その地名については、風で砂が吹き上げるところから生じたものとの説がある。古くからの集落は中山道に沿って続いており、江戸時代には中山道の熊谷・鴻巣の両宿場の立場が置かれ、更にその地内で中山道と日光脇往還が交わることから、交通の要衝として繁栄した。
「風土記稿」 吹上村の項には 「山王社村内上分の鎮守とす、東曜寺持」 「氷川社小名遠所の鎮守なり、持宝院持」 「稲荷社下宿の鎮守なり、東曜寺持」
と、鎮守が三社記されている。このように、江戸時代にあっては、村内を三分し、各々で鎮守を祀っていたが、最も規模が大きかったことから社格制定に際しては日枝社(神仏分離により山王社が改称)が村社となり、他の二社は無格社にとどまった。更に、政府の合祀政策によって明治40年4月16日付で、氷川社と稲荷社は日枝社に合祀され、これに伴い、日枝社は村名を採って吹上神社と改称した。年配の人が当社を
「山王社」 と呼ぶのはこうした経緯によるものである。
ちなみに、氷川社の跡地は本町二丁目の遠所橋のすぐ南に、稲荷社の跡地は鎌塚二丁目の新宿橋のたもとの所にあり、いずれも祠が建てられている。また、日枝社については、「明細帳」
に 「宝暦6年(1756)7月火災焼失す其後創立年月不詳」 との記録が載る。
吹上神社拝殿
吹上神社由緒