学制に基づいて、明治6年(1873)5月中津興風義校(南小学校)の三番支校松風義校として開業されました。千旦林六番地所に一舎を造営し、旧大林寺佛字を借りて授業が行われました。教員は松山桂舟、松山文舟及び小畑(某)でした。生徒数は男子45名、女子18名、教科書は三字教、稽要略、千字文など漢文を使用しました。
 明治8年(1875)8月中津興風義校より分離独立。
 明治11年(1878)3月千旦林学校と改称、明治13年(1880)1月与ヶ根の木村弥一郎氏の空屋を借り受け、加藤作之助をまねき新式の学校としました。
 明治16年(1884)5月八幡神社の大門で元の正覚院屋敷跡(祈願所ともいう)に間口7間半、奥行4間半二階造りの校舎を新築しました。
 明治34年(1901)4月、高等科を併置して千旦林尋常高等小学校と改称。
 明治35年(1902)中平に校地を移転し新校舎を落成しました。
 明治36年(1903)農業補修学校を付設。千旦林村と茄子川村が合併して坂本村が誕生するのは明治30年(1897)ですが、両村の学校が合併して現在の場所に坂本尋常高等小学校となったのは明治41年(1908)のことです。合併する前の一年間は、千旦林と茄子川の児童は生徒が仲良くやっていくため半数の者が互いに相手の学校へ通学し、友情を深めたと聞いています。
 (坂本地区文化遺産保存会)

御堂の中の観音像と弘法大師像

七十五番の標柱と大師堂

松風義校(千旦林学校)跡説明

参道に並ぶ常夜燈

小社(脇には妙見大菩薩碑がある)

参道に並ぶ常夜燈