如意輪観音像(念仏供養塔)
中山道案内
小石塚立場跡碑
嵐讃岐の供養碑説明
現在地付近は、山村甚兵衛等木曽衆の領地であった千旦林村(村高552石)と手金野村(村高446石)との境になっていました。
ここから大井宿に向って約400m間は、道路改修のため昔の中山道の面影を残してはいません。
近くの中山道筋には茶屋等が営まれた小石塚の立場跡があり、寛永3年(1626)に建てられた板碑も移設されています。
(中津川市教育委員会)
嵐讃岐は木曽家の有力武将の一人で、千旦林に居をかまえ、千旦林八幡宮(八幡神社)の再建に尽くした人と伝えられている。
この供養碑は、寛永3年(1626)に嵐讃岐を供養するために建てられたもので、墓石様式の変遷をあらわすものとして貴重であり、岐阜県下でも稀な様式である。
(中津川市教育委員会)
寛永3年(1626)の嵐讃岐供養碑