古代、近江と陸奥を結ぶ官道として拓かれた東山道は、都から美濃の国・坂本駅を経て信濃の国・阿智駅へと通じていた。
この二駅間は、距離が長い上に急峻な神坂(みさか)峠越え(標高1595m)を控え、道中でも名の知れた難所であった。
このため両駅には特例として通常の2~3倍、30疋の駅馬が用意され、また、輸送にあたる駅子(えきし)にも免税の恩典が与えられていた。
その坂本駅が置かれていた場所は、現在特定されていないが、この辺りであったと思われる。
(中津川市)
ここから上宿の一里塚にいたる坂道は 「こでの木坂」 といい、市内の中山道の中でも急峻な道です。明治13年(1880)に明治天皇の巡幸があり、このとき駒場村の青年たちが待ち構え、天皇を乗せた馬車がこの坂道を通るとき、懸命に馬車の先引きをして通したといわれています。
明治になり、交通手段として馬車が多く利用されるようになると道の改修が行われ、明治21年(1888)には坂道の一部を取り壊して緩やかなS字の道に整備しました。
また大正7年(1918)にバスが通るようになると、道幅が拡張され、現在の道路のようになりました。
こでの木坂の名称は、坂の頂上に大きな 「こでの木」 が生えていて、これが目印になっていたのでこう呼んだと云われています。
(中津川市教育委員会)
こでの木坂説明
坂本駅(中津川市駒場)説明
中山道小手ノ坂碑