〇 江渡中期に園田大学が建てたと伝えられており、上り框や天井の梁などは当時そのままである。屋号を十八屋山十といい、中津川の豪商であった間杢(もく)右衛門家の流れをくむ家で、そこより分家した間五兵衛家から出た間武右衛門が移り住み、旅籠を営んでいた。当時の記録によると、旅籠は宿役人しか営むことができなかった。

〇 元治元年(1864)11月、水戸天狗党が中津川を通行した際、和田峠の戦で負傷した若き武士を、武右衛門が当家の隠し部屋に匿うが、病没した。当家にはその若者の遺品が今も残されている。

〇 皇女和宮の下向のときには、京都御供が宿泊しており、その時の記録には当家の間取りなどが克明に調べられている。

十八屋(間家)説明

旧旅籠十八屋