中津川宿は江戸から45番目の宿場である。
 寛政年間(1789-1800)には、町の長さ10町7間(約1.0㎞)、家数175軒、人口1230人となり、中山道の中でも大きな宿場であった。
 宿の町筋には、江戸方より淀川町、新町、本町、横町、下町と続き、中心は本町で、ここに本陣・脇本陣(共に問屋兼務)が相向いあい、道の中央には用水が流れていた。
 本町を挟んで京方筋には旅籠屋、馬宿、茶屋その他物を商う店、職人の家も並び人馬の継立と休憩、宿泊を中心とした町があり、江戸方にかけては商家を主とした街並みがあった。
 今でも鉤の手に折れ曲がった横町あたりには古い伝統を受け継いだ宿場町の面影が残されている。
 (中津川市教育委員会)

中津川宿説明

中津川宿脇本陣跡

明治天皇中津川行在所碑