江戸期のこの家は、米屋であったという。傾斜地を利用して米を搗(つ)き、雨戸をあけるには、二つ折りにして上へ持ち上げ、固定するもので、柱や梁とともに今も残っている。また、屋根裏には隠し部屋が残っており、博奕(ばくえき)部屋であったという。裏庭に残る石垣は、枡形ができた頃のもので、川上川(中津川)の氾濫に備えたものであった。ここの字名を下川原という。
当家は元々苗木藩士であった家系で、裏庭には樹齢150年以上の松の木があり、この松の木に霞がかかったさまから、松霞堂と呼ばれる表具店を営む。
表具松霞堂の中津川宿辻行灯
松霞堂(可児家)説明