屋根に取り付けられた 「卯建」 があるこの建物は、江戸時代は中津川村の庄屋を勤めた肥田家が所持し、構造体の部分は江戸中期に遡ると想定される。
肥田家は代々 「九郎兵衛」 と名乗り、屋号は田丸屋といい、島崎藤村の 「夜明け前」 には小野三郎兵衛として登場している。
江戸の後期から旅籠(旅館)を経営し、明治26年(1893)には、恵那山を登ったウェストンが宿泊されている。
明治30年代になると曽我家がこの建物を譲り受け、中津川で最初に開業した医院となった。
以後、曽我家が大切に建物の保存管理に努められ、現在市有形文化財(建造物)に指定されている。
(中津川市観光協会)
建設年代は不明であるが、構造体の部分は江戸中期に遡ると推定される。
曽我家住宅は、江戸時代においては旧中津川村の庄屋・脇本陣を務めたこともあった肥田家(田丸屋)の建物であり、やや数寄屋がかっている 「上段の間」
の細工がよく 「上段の間」 からの庭の眺望も素晴らしい。
明治中頃、曽我家が入居し、医院として用いて近代医療に貢献された。
現在は、曽我家の専用住宅となっている。
中津川村庄屋跡碑
中津川村庄屋居宅説明