このあたりに昔、料亭 「やけ山」 があった。文久2年(1862)6月、長州藩士桂小五郎(木戸孝允)は、京都に向う。藩主毛利慶親公の行列を待つ間、幕吏の目を逃れて中津川の平の門人間秀矩や市岡殷政の好意で、秘かに 「やけ山」 に隠れ待機した。
 やがて、「中津川会議」 3日の結果、桂の主張によって長州藩は、尊王討幕へと決断した。
 明治変遷の秘史と物語る場所である。
 (中津川観光協会)

桂小五郎隠れ家跡説明

料亭やけ山跡(桂小五郎隠れ家跡)

桂小五郎隠れ家跡入口道標