昭和21年8月吹上町本町の住人中山幾太郎の長女光子突如眼病に苦しむ。近郷の名医に治療を受くるも効なし。失明の宣告あり。親子共々悲観の涙に暮れる。或る日知人の金子留五郎氏の導きによりて日蓮宗身延会行田支部主管渡辺妙祥法尼を尋ね仏祖三宝に願を掛け祈祷法座す神仏の実在を認め三、七、二十一間唱題妙行の請願を立つ満願聖日爾後光子さんの眼病全快す。
 法座に依ると
 今を去る130年前(天保14年)武士の娘本名山下喜美代(母よね)と申し、7歳にして母に死別後妻に養育さる何不自由なく暮らすも17歳にして不幸にも眼病に掛かる我が身の所作にも事欠く母もだんだん冷たく当たり悲しき日々が続く。家庭の持仏観世音菩薩に一心に祈願す。ある夜亡き母が夢枕に現われ八十八社参りを教う。不思議や薄すらとあたり見ゆ。意を決して明朝父の許可を得、観世音像を背負い六十六部と姿を替え旅立つ流浪4か年有り難くも日増に良く満願の日全快す喜び家路に急ぐも途中あまたの盗賊に襲われ殺害される。無念の余り蛇体となり有無両縁を問はずこの土地周辺に居住する者総てに悪霊になり怨恨をなす。
 長年の苦界にあるを語る今宿福甚幸にして十界成仏の法華経の全座に合ふ。これを期に得道成仏を誓ふ妙徳地蔵尊として祭り、後世に伝える事を約す報恩の為開運子育安産眼病の守護を誓ふ者なり
 地蔵尊とは釈迦滅後の無仏世界の衆生を救ふ任務を帯びて毎朝禅定に入り衆生の機根を観じ、あらゆる神秘的な力を以ってこれを救ふ慈悲深い菩薩その動かない事は大地のようで深いことは秘蔵のやうである所から地蔵と言ふ

妙徳地蔵尊縁起

JR高崎線とNTTの電波塔