国の大事に殉じた兵士の忠魂碑が建っていましたが、戦後台座のみ60有余年間放置されたままとなっていました。
 此の由緒ある台座を有効活用したいものと、上金中山道の会で相談して平和の鐘を建立しました。
 鐘は中津川市立坂本中学校から貰い受けたものです。坂本中学校校歌の中に 「つけや時代の暁の鐘」 と歌われています。
 永遠の平和を願って鳴らして下さい。
 (上金中山道の会)

 この石は判読もつかないくらい摩滅していますが、貴重なことを伝えております。はじめに 「月石、相和房」 「雪石、囲三」 「涼石、藤朴」 「木賊石、藤井氏」 「萩石、赤井氏」 「揃石、大島氏」 右三ヶ口、六歌仙塚、とあり、六個の石それぞれの形容を詠んだおかしみのある句が刻まれ、いまは木賊石のみ不明のまま市立図書館で保管しております。次に 「北野石室翁塚」 とあるのは、すみれ塚を指し 「南石室歌仙塚」 は、ここから扇薬師に移された碑のことであります。これら7つの石は、もと台地にあった2つの塚のほぼ中心に置かれ、天明.3癸卯冬日、芭蕉の90回忌に設けたことをあらわし、それ以前にすみれ塚が存在していたことを標示しております。

標示石

平和の鐘説明

標示石説明

伏見稲荷神社

伏見稲荷神社本殿

伏見稲荷神社拝殿

平和の鐘