この付近は江戸時代、上金村と呼ばれる中津川村の支村(えだむら)であった。
 「濃州徇行記」 <寛政7年(1795)>には、石高67石余りの小村で、家数18戸、人口85人、民家は街道左右に散在し、多くの山畠があったと記されている。
 国道19号により約20m中山道が消滅してしているが、道幅は3~4間であったと云われている。
 地下道を通って東に進むと 「子野の地蔵堂石仏群」 があり、高さ2m余りの徳本行者念佛碑のほか、庚申・地蔵・観音等が数多く祀られている。
 (中津川市教育委員会)

真新しい男女双体道祖神

中山道碑と中山道上金かいわい説明

種田山頭火句

手書きの中津川宿の路程図

地下道の児童が描いた絵

山しづかなれば笠をぬぐ
飲みたい水が音たてていた
山深く蕗のとうなら咲いている